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秋分の日はいつ?その由来は?

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 秋分の日っていつ?その由来は?

毎年9月に訪れる秋分の日ですが、そもそも秋分の日とは一体どんなものなのか、ご存知ですか?

今年の秋分の日は9月22日とされており、22日が秋分の日になるのは1896年以来の事だそうです。秋分の日が祝日として制定されたのは戦後間もない1948年(昭和23年)です。

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同年に公布された国民の祝日に関する法律によって定められました。
秋分の日という名称は1948年からですが、それ以前は秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)という名称で1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)まで国民の祝日とされていました。
こうしてみると、国民の祝日の中でもかなり長い歴史を持っているという事が分かりますね。

秋分の日というと、「お彼岸の中日」「昼と夜の長さが一緒になる日」というイメージが強いですね。ですが、実際は「先祖の霊を祀り、亡くなった人々を偲び、祖先を敬う日」です。

元々秋分の日は秋季皇霊祭を行っていた日にあたります。皇霊祭とは先述した「先祖の霊を祀り、祖先を敬う」ためのお祭りです。

これは江戸時代には仏式で行われていたと言いますが、明治に入ってからは神式になっています。これには恐らく神仏習合が関わっているのではないかと思いますが、この辺りを詳しく調べていくとややこしくなるので、割愛しますが。
そんな皇霊祭ですが、天皇陛下が行う祭祀の一つとして現在では知られています。天皇陛下は年に多くの祭祀を執り行いますが、祖先の霊を祀るのはその中でも重要なものです。ですが、歴代歴代天皇、皇后、皇族の命日ごとに祭祀をしていては大変です。だから、春と秋の決まった日にまとめてやってしまいましょう。と言うのが春季皇霊祭と秋季皇霊祭なのです。

ちなみに春季皇霊祭は春分の日にあたります。

 

お彼岸におはぎを食べるのがなぜ?

秋分の日と言ったらおはぎですが、なぜこの時期におはぎを食べるのか。
おはぎの材料である小豆は、江戸時代に中国から漢方の一つとして日本に伝わってきました。今でこそあんこは甘いものですが、当時砂糖はとても貴重な高級品です。白い砂糖なんて庶民からしたら都市伝説レベルの貴重品。江戸時代の甘味と言えば干し芋や干し柿です。そんな食文化でしたので、砂糖の入った甘いおはぎはお彼岸という特別な時に食べる大事なものでした。秋分の日を中日にしたお彼岸期間は大体一週間ほどありますので、その間におはぎを作って食べるのが習慣化したものと考えられます。
また、この時期は小豆の収穫時期にも重なりますので、収穫したての小豆を使って五穀豊穣を願うというのも彼岸の慣例となっていきました。

同じような春分の日も牡丹餅を食べる習慣があります。これも小豆の収穫時期と重なりますので似たような理由で食べるようになったと考えられます。
ここで注意したいのは、「春は牡丹餅、秋はおはぎ」というような名称が異なるというところです。これはこしあんと粒あんの違いがありますので、和菓子屋さんで購入する際は気を付けておきましょう。秋に牡丹餅を買ってしまっては季節外れになってしまいますからね。名前の由来は江戸時代の百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の記述より、その季節の花から取ったものという説が有力です。ちなみに、夏だと夜船。冬だと北窓という名称が当てられます。これはあまり一般的ではありませんが…
小豆で作られたおはぎを食べる理由ですが、日本では古来より「赤色には邪気を祓う力がある」と信じられてきました。神社の鳥居を思い描いてもらえるとすぐに理解して頂けると思います。「赤い小豆を食べて邪気を祓う」そのためにおはぎが食べられてきたのだと思います。

秋分の日は華やかさこそありませんが、非常に日本的で大事な祝日です。良い機会ですからおはぎを食べて邪気を祓い、祖先の霊を敬って過ごしてみてはいかがでしょうか?

 

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