竹取物語~かぐや姫の謎
「今はむかし、竹取の翁というものありけり」から始まる物語があります。日本最古の物語と言われている『竹取物語』です。学生時代に古典の授業で習ったという方も少なくないでしょう。絵本だと『かぐや姫』と言う名前で知られているお話です。
そもそも作者が誰かも分かっていません。話の内容もとてもまとまっていますが、多くの謎を今なお残しています。
そんな『竹取物語』の素朴な疑問をここでご紹介していきましょう。
1)『竹取物語』とは?
成立不詳、作者不詳。世界最古のSF小説とも言われています。
≪竹取物語の簡単なあらすじ≫
昔々あるところに、竹取の翁(おきな、おじいさん)とおばあさんが竹で色んなもの作って生活していました。
ある日、おじいさんが竹藪で光る竹を見つけて不思議に思って切ってみると、三寸(9cm)くらいの可愛い女の赤ちゃんが入っていました。おじいさんは連れて帰り、自分たちの子供として育てることにしました。女の子は3か月くらいで妙齢になり、非常に美しい娘に成長しました。おじいさんは御室戸斎部(みむろどいんべ)の秋田を呼んで名付け親になってもらい、「なよ竹のかぐや姫」と名前を付けてもらいました。
かぐや姫の美しさは都でも評判となり、たくさんの男たちが求婚に訪れました。しかしほとんどの男たちは脱落し、石作皇子(いしづくりのみこ)、車持皇子(くらもちのみこ)、阿倍御主人あべのみむらじ)、大伴御行(おおもとのみゆき)、石上麻呂(いそのかみまろ)の5人の貴族の男が最後まで粘りました。
かぐや姫は石作皇子には「仏の御石の鉢」、車持皇子には「蓬莱の玉の枝」、阿倍御主人には「火鼠の裘」、大伴御行には「龍の首の珠」、石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持って来いとお題を出します。どれも珍しいお宝ばかりですが、男たちはかぐや姫と結婚したい一心で偽物を作ったり一生懸命探したりと奔走します。結局彼らは姫のお題をクリアできず全員不合格になってしまいました。
そんなかぐや姫の噂を聞きつけた帝が、かぐや姫に求婚をしますが姫はお断りします。それでも諦められない帝は何度も手紙を出して3年ほど文通をすることになりました。
そんなある日、かぐや姫は月を見て思い耽るようになり、おじいさんたちがどうしたのかと聞くと「私は月の住人で十五夜になったら月に帰らなければならないのです」とさめざめ泣きます。
可愛い姫を帰したくないおじいさんは帝にお話しして十五夜の晩に軍隊を配備してもらいました。
しかし、十五夜の真夜中、突然空が昼間のように明るくなり天上から雲に乗った人々が降りてきました。兵士たちは弓を射ようとしますが不思議と力が抜けてしまいます。
天上から来た月の王は「姫は罪を作ったのでしばらく穢れた地上にいらっしゃった。しかし罪を償う期間が終わったので迎えに来た。早く姫を出しなさい」と言います。
姫は衣を脱いで、帝に手紙と不死の薬を渡します。着れば心が変わってしまうという天上の衣をまとって、姫は月へと帰ってしましました。
帝は手紙を読んで深く悲しみ「かぐや姫がいないのに不死の薬になんの意味があるだろう」と嘆いて、日本で一番高い山の山頂で燃やすように命じます。使者は命令通り、日本一高い山で薬を燃やしました。その山は「ふじの山」と呼ばれ、今も煙が立ち上っているのだといいます。
以上が簡単な『竹取物語』のあらすじです。子供向けの絵本でもほとんど内容は変わりません。
一般的な児童向け絵本と原作の相違点を挙げるとすれば、「名付け親が登場しない」「不死の薬が全部カット」という点でしょうか。名付け親に関しては、あってもなくても話の内容に支障はないからカットされているだけだと思います。ラストの不死の薬のくだりは高学年向けの本には記載されていますので、対象年齢と出版元によるものでしょう。
スタジオジブリで作られた映画『かぐや姫の物語』はほぼ原作をなぞっています。しかし、映画でしか登場しない捨丸というキャラクターが登場していますので、原作よりもかぐや姫が生き生きと人間味を帯びたキャラクターとして描かれています。
2)なんで竹から生まれたの?
かぐや姫がなぜ竹の中から生まれて来たのかを考えるには、物語における『竹』がどんなものかを考えていく必要があります。
そもそも、かぐや姫は人間ではなく「月の都の住人」ですので、厳密には竹から生まれて来たわけではありません。かぐや姫は「竹に入れられて赤ん坊から人生をやり直した」と考えるべきです。それを考慮して『竹』について考えていきましょう。
『竹』とは古代より生活の道具や呪い(まじない)の道具として人々の身近な植物でした。
竹の成長は特徴的で一日に1m以上伸びます。木のように幹が太くなることはなく、ただただ上へ上へと伸びて行き、切ってしまってもしっかりと地面の中に根を張って何度でも蘇る、強い生命力を持った植物です。葬送や誕生においても竹を用いた道具がよく使われており、竹は「復活と再生」を司る存在になっていきました。
かぐや姫は罪を犯して流刑になり、「一から人生やり直して来い」と穢れた地上に送られてきた身ですので、「再生と復活」を意味する竹が生まれ変わりの場に選ばれたのではないかと推察できます。
3)かぐや姫の罪って何?
『竹取物語』の中で、かぐや姫は罪を犯したと書いてありますが、どんな罪なのかは書かれていません。国文学の世界でもこの疑問は未だに謎とされており、様々な研究家が議論をし色んな説を唱えています。
一般的に言われているのは「①政治犯 ②男女関係の罪」です。この2種類は古代において非常に重いタブーでした。
政治犯説は『竹取物語』の時代背景である平安時代初期の頃、政変などで罪を犯した人が死刑ではなく流刑に処されていたのが根拠だと思われます。
しかし、律令制時代から流刑ありましたが、女性へは適用されず代わりに鞭で打つ刑罰が科せられていました。
かぐや姫は女性ですので、単純に政治犯になって流刑になったというのは時代背景や物語の性格を考えても信憑性に欠ける説だと思われます。
現在有力視されているのは「男女関係の罪」です。なぜそのような説が浮かび上がるかというと、物語中にかぐや姫が行ったことがヒントになっています。物語の中でかぐや姫がやった事はたった一つしかありません。
「迫って来る求婚者に無理難題をふっかけてお断りする」ということだけです。それ以外彼女は何もしていないのです。かぐや姫は「穢れた地上で罪を償いなさい」と流刑に処され、一定期間を過ぎて「罪は許されたから戻って来なさい」と言われました。
つまり物語中でやってきた事と合わせて考えると「かぐや姫は地上で結婚の申し込みを断ることが罰だった」ということになり、月で犯した罪は「男女の恋愛にまつわるタブーを犯した」と推察できます。
月の都は感情の無い世界と書かれていますので、最も人間的な恋愛というものは月において国家を揺るがすタブーだったとも考えられます。
そして、結婚出産にまつわる女性の憂鬱や血は「穢れ」であるという考え方が日本には古くからありますので、それを合わせて考えると「男女の恋愛」がかぐや姫の罪だったのではないかと考えらるのです。
しかし原作に何も書かれていない以上、かぐや姫の罪と罰については正解というものが無く、今後様々な説がさらに登場する可能性が大いに期待されています。
4)『竹取物語』は日本だけの話じゃない?
『竹取物語』は日本を代表するSF小説であることに違いはありませんが、実は海外にも非常に似ている話があります。一つは中国神話にある嫦娥(こうが、じょうが)伝承。二つ目アバ・チベット族の民話の『斑竹姑娘(はんちくこしょう)』というお話しです。
中国神話の嫦娥伝承は、夫が西王母(せいおうぼ。中国の仙女)から貰った不老不死の霊薬を、妻の嫦娥が独り占めして飲んでしまい一人月の宮殿に昇って寂しく暮らしたというお話です。『竹取物語』と似ている点と言えば「不死の薬が出て来る」「月に昇る主人公」という点だけになりますので、完全に元ネタであるとは言い切れません。しかし、『竹取物語』はこの嫦娥伝承の影響をかなり受けていると思われます。
なぜなら、日本は元々農耕民族あ暮らしており、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る太陽信仰の国です。月への信仰や不死の霊薬というものは道教によくある考え方や話ですので、中国から伝わってきた嫦娥伝承は『竹取物語』のシナリオ作りに何らかの影響を与えたのは間違いないでしょう。
もう一つの『斑竹姑娘(はんちくこしょう)』ですが、こちらは驚くほど似ています。似ている点は「主人公が竹から生まれる(しかも成長が早い)」「美しく成長して求婚者がたくさんやってくる」「求婚者に無理難題を吹っかける」というところです。月の住人云々が無いだけで、ほぼ同じあらすじです。しかも、美しく成長した娘に結婚を申し込む5人の若者が、『竹取物語』に登場する5人の貴族と性格や行動が非常に似通っています。おまけに娘が吹っかけた無理難題もほぼ同一です。
この『斑竹姑娘(はんちくこしょう)』は一時期は『竹取物語』の原点なのではないかと言われていましたが、現在では「逆に斑竹姑娘(はんちくこしょう)が竹取物語に強い影響を受けている」という風に言われています。
なぜなら、『斑竹姑娘(はんちくこしょう)』は出自も怪しく、きちんとした史料がありません。
この話が編纂されている本は1950年代に作られたもので、この民話が伝わっていると言われている場所が元々日本軍が戦時中に進駐していた場所なので、日本軍によってかぐや姫の物語が現地に伝えられた可能性が非常に高いです。
5)竹取物語のなぜ?まとめ
『竹取物語』は日本人なら誰もが知っている話でありながら謎が多く、読めば読むほど様々な疑問点が浮かび上がってきます。これまでご紹介した話は、『竹取物語』の謎の中でもほんの一部に過ぎません。作者は誰なのか、今昔物語との関係はどんなものなのか、登場人物のモデルは誰なのか等々、まだ謎は残されています。
『竹取物語』を読んで見て私が個人的に思った事は、先にも述べましたが、かぐや姫って主人公なのに特に何もしていないんですよね。男たちに無理難題を吹っかけておしまい。主人公としての心の動きなどが非常に見えにくいキャラクターだなと思いました。どちらかと言うと竹取の翁の方が主人公っぽく感じます。
かぐや姫のこの描写の仕方やキャラクター作りが意図的に行われたものだとしたら、これは本当に凄い作品だなぁと思います。
物語そのものは非常に短いので是非一度読んでみてください。原作を読むのに抵抗がある方は、スタジオジブリの『かぐや姫の物語』がおすすめですよ。
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